見るのとするのと
“見る”ことには、なんの障壁もない。
サッカーの試合を見ることも、劇団の劇を見ることも、オペラを見ることも、お金さえ払えばいい。
しかし、実際に”する”のは障壁が急激に大きくなる。サッカー選手としてピッチに立つ、劇に出る、オペラをする、これらは日々の練習が必要不可欠になる。
でも一つだけ確実なことは、常に見るよりする方が楽しいということである。
リレーの選手を小中高とやってきた。常に、楽しかった。終わった後の満足感にあふれた。見ているだけでは絶対に味わえないものだ。
サッカーだって、ゴールを決めたとき最も嬉しいのはファンも嬉しいだろうが、ゴールを決めた選手本人だろう。(これは経験則的にそう思うというだけだが。)
人は大人になっていくたびに”する”ことを諦めて、”見る”ようになる。サッカー選手を目指していた多くの子供がサッカーファンとして、一観客としてサッカーの試合を見始める。
なにが言いたいかというと、常に”する”ことにむかって諦めず努力を続けることが大事だ。
きみはいま何を、”する”ことができるだろうか?