留学・金融・奨学金日記 慶應

慶應生が経済とか金融とか奨学金とか試験とか就活をつらつら書いていくブログ

見るのとするのと

“見る”ことには、なんの障壁もない。

サッカーの試合を見ることも、劇団の劇を見ることも、オペラを見ることも、お金さえ払えばいい。

しかし、実際に”する”のは障壁が急激に大きくなる。サッカー選手としてピッチに立つ、劇に出る、オペラをする、これらは日々の練習が必要不可欠になる。

 

でも一つだけ確実なことは、常に見るよりする方が楽しいということである。

リレーの選手を小中高とやってきた。常に、楽しかった。終わった後の満足感にあふれた。見ているだけでは絶対に味わえないものだ。

サッカーだって、ゴールを決めたとき最も嬉しいのはファンも嬉しいだろうが、ゴールを決めた選手本人だろう。(これは経験則的にそう思うというだけだが。)

 

人は大人になっていくたびに”する”ことを諦めて、”見る”ようになる。サッカー選手を目指していた多くの子供がサッカーファンとして、一観客としてサッカーの試合を見始める。

 

なにが言いたいかというと、常に”する”ことにむかって諦めず努力を続けることが大事だ。

 

きみはいま何を、”する”ことができるだろうか?