留学・金融・奨学金日記 慶應

慶應生が経済とか金融とか奨学金とか試験とか就活をつらつら書いていくブログ

アメリカ留学を終えて

アメリカの大学での留学生活を終えた。アメリカの主要都市の1つで、大学の地域が非常に豊かなアメリカ人が多くすむ場所に非常に近い兼ね合いで、アメリカの上流層を沢山みた。その中で、経済大国アメリカの経済格差に関して感じることが多かった。

 

慶應でもエレファントカーブ(https://www.google.co.jp/amp/business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/213747/010700040/?AMP=1) という、世界の経済格差に関する昨今の変化を学んできた。先進国の上位層が富を蓄え、格差が助長されていることを表したカーブだ。これは、ピケティの資本論でも同じことが言えると思う。

 

アメリカでは、この上位層の存在をまざまざと感じた。結構一般的なアメリカ人がプール、ジャクジーが付いてて、綺麗にされた庭があって、犬が走っていた。それが本当に町の普通だった。すごい国だな、だから世界中から人が集まるんだなぁ、と思うのと同時に、どうやってこの恵まれた環境は支えられているのか?と疑問に思った。昼間、街を歩いていると、そういった家1つ1つにオンボロな車がとまり、プールの掃除や、ガーデンの庭師などが来ることに気付いた。彼らは肌の色を見るとみんなメキシコ系の移民だ。中には、アメリカ人の家の庭で走る犬たちを散歩に連れて行くというだけの仕事をするメキシコ人労働者までいた。
彼らは仕事を低賃金で行い、車さえ持つのは難しそうで、平気で窓ガラスが割れたまんまの車を使ってる人たちばかりだ。
アメリカ人のそのような豊かな生活は、完全にそのメキシコ人低賃金労働者の存在に支えられている

 

これは、アメリカに関わらず歴史的に常にあったもので、下位層の人たちの犠牲によりある層が大きな利益を経済、金融を用いて獲得してきた例は無数にある。イギリスで有名なケンブリッジ大学が発達した背景には、授業料などの資金をロスチャイルド家を通じて植民地ビジネスの投資に充てたことにある。植民地で先住民を非常に低賃金で働せ、莫大な利益を得たため、ケンブリッジの学者たちは金銭を気にせず非常に牧歌的な環境の中で研究に専念できた。
ドイツでも、企業が成長し生産を拡大して行く中で、労働人材が不足したため民間企業の強い望みによりいわゆる雇用調整弁として移民を大量に受け入れていた。

このように、先進国の一部のために弱者が搾取され、格差が拡がる現象は場所、時代問わず起きている。これからも先も起き続けるだろう。

 

そんなことを考えさせる留学だった。